誰かにちっぽけな☆を

誰かにちっぽけな☆を

id:Francis さんの書かれた承認関連の話題


■[俺]承認関連の話題を続けます
http://d.hatena.ne.jp/Francis/20071011/1192112764


こちらの記事拝見させて頂いて、脊髄反射的にずらずら書いてしまいました。

まとまりない乱文ごめんなさい。

勢いで書いてしまったので、推敲した方が良さそうなんだけど、でも勢いも大事かな〜とそのままいっちゃいます。

誰かににちっぽけな☆を。
それは結果的に自ら自分を解き放つことになるのかもしれない。


許されて居ない、承認されていない、そんな強い思いや念が枷となり、やがて固い仮面を被り厚い鎧の内側に閉じこもり逃げ込む。

拒絶や拒否、否認、無視の衝撃から少しでも逃れるため。

でも、他者にはその鎧がその人として写る。

しかしその鎧の内側には、傷つきやすく敏感なままの自分が、自分でも気付かずにそこに居る。

鎧を着た自分こそが、世間的に普通な本人と思い込もうとする事さえある。

それが意識できていない無意識の反応であればなおさら。

そんな時、鎧を着た自分が自分であると思い込もうとすればするほど、鎧の中の自分を見失ってしまう。

結果、不意に訳の判らない不安自身喪失に見舞われてしまう。



確かにごく近親の他者からの拒絶や拒否、否定があったのだと思う。

不幸にも、それを素直に受け入れざる得なかった。



すると自身を満たす容器の中には否定拒絶が占める割合が多く、ちょっとしたことでは嬉しさやありがたさが感じられなくなってしまう。


まして鎧を着込んでしまったなら尚更。


もしかしたら、それが引きこもりや非モテの一つの表れ方かもしれない。


他者から承認されなかったから、自らも承認を上手く与えられない。


ただの"ありがとう"が言えなくなってしまう。



そして、つい過大な評価を期待しまた評価されうる価値を提示しなければならないと思いこんでしまう。

結果、自分の満足を脇に置いて他者に過剰に応じようとする。


自分よりも、何かに尽くしたり応じる事でなんとか承認を引き出そうと試みでいるのかもしれない。


しかし他者の要求に応じてみたところで、思ったような賞賛、承認は返ってこない。


自分が他者に何かしたから、感謝や賞賛の見返りを期待したい。

そんな風にしか思えなくなってしまう。




翻って辺りを良く見回して見るとどうだろうか?


日ごろからありふれた事でもThanksを気軽に表明している人が居る。

あまりに気軽なありがとう過ぎて、そんな事にまでいいのにと思えてしまうくらいに。

そういう人は、本当に些細な事で気軽にThanksをさらっと言う。

きっと、小さい頃に幸運にも承認や許容を感じられたのだろう。

寧ろそれが当たり前と思えたのかもしれない。


かと言って、あまり大袈裟に過ぎる反応もしない。

それで気兼ねなくありがとうを言えるのかもしれない。




もしそうであるならば、ちょっとしたことにこそ、どうもやありがとうを。

それを続けていると、自分への承認が出しやすくなるのかもしれない。


いいんだよ。と許容、受容、承認を。

ありがとうは、結局自分を承認する事に他ならないのかもしれない。



ところで承認や許容は神様が授けてくれるものではない。

もし絶対的な承認や許容を期待するなら、それは神様に期待し依存しているからではないのか。

そしてこの神は、実は承認や許容をくれるもの誰でも構わないのかもしれない。
他者からの承認や許容に依存している限り。



一方で、自らが自身に許容や承認を出せるとき、人は他者から極些細ではあるけれどもちっぽけな神になれるのかもしれない。

じゃ、身近な承認や許容って・・・?

実ははてなの☆って、まさに承認や許容を発行するツールなのかも?

ならば、もっとカジュアルに☆を発行するツールを活用してしまうのが手っ取り早いのかもしれない。

自身がどう思おうと、他者からしたら承認してくれるちっぽけではあるけど神となれるとしたら。

でも、本当は神からの承認より、人からの承認の方が有り難いのかもしれない。

神からだと、簡単には返す事はできないけど、自分と同じ人間であれば、返す手段は様々に在る。

もしも☆をもらえたなら、過大なお礼なんてする必要はこれっぽっちもなくてまさに☆を返せばいいのだから。

人にありがとうや☆を振舞う事で、自分にも☆が返ってくる。

そんな事を繰り返していると、やがて自身への許容、承認がたやすくなるのかもしれない。

その時、感じやすく傷つきやすい弱い自分をなんとか守ろうとしてつけていた仮面や鎧は要らなくなるかもしれない。

自身の周囲に☆があふれていたなら。



2007/11/14 追記

アダルトチルドレン関連

加藤諦三ホームページ
http://www.kato-lab.net/


境界例と自己愛の障害からの回復
http://homepage1.nifty.com/eggs/index.html


なんだか引っかかると言う方いらっしゃいましたらこの辺覗いてみるのもいいかもしれません。


自分は若干該当しているみたいで、それほどでは無いですが生きにくさみたいのはあったりします。

昔分析的に見てましたが最近見てなかったな〜。


実はこれ
http://anond.hatelabo.jp/20071114023957

で紹介されていた”境界例と自己愛の障害からの回復 ”見て覗いたところ
ほほうという感じ。

加藤諦三さんのよりしっくり入ってきそうかな〜。