行き場所探し

どうにも変えがたい基本的な自分を、弄繰り回される事無く

自分なりに居られた存在は

他者が他者なりである事を当たり前に感じられるのだろう。


それであれば、他者の言動も最後まで聞けるかも。


しかし、一方、自分というそれぞれ異なった独自なものであるにも関わらずそれが受け入れられず、
類型や理想、期待像、幻想の枠を押し付け嵌められてしまった場合。

嵌る必要なんて無いのにわざわざ嵌っていってしまった場合。

(勿論、そんなの嵌め様にも嵌ら無い存在が大多数だと思うけど)

何故か嵌ってしまう存在がいる。

勝手な想像では、生れつき体が弱かったりで、負担をかけている負い目、またその点を兄弟や他人の家の子などと比較され指摘されてしまった場合。

諍いが耐えずあり、心の安らぎを求めにくい。

見捨てられ不安が強い等々。

捨てられる、放置される、負い目を感じずに居られない等々、安心感、承認感、肯定感よりも不安感、焦燥感、弱さ、劣等感を抱く事が多い事で、良い子に成り果てる子。

存在そのものへの否定、お荷物と言う感覚から、自分と言うものが認め難い。


ちょっと今、弱音、行き詰まり焦燥感ザラザラがどうにもしようが無く・・・。

振り返ってみるとフランケンシュタインみたいな自分。



フラジャイル 弱さからの出発/松岡正剛:DESIGN IT! w/LOVE
http://gitanez.seesaa.net/article/80918598.html

「あれもできる、これもできる」ではなく「あれもできない、これもできない」、しかし・・・:DESIGN IT! w/LOVE
http://gitanez.seesaa.net/article/81362244.html