言いたい事言えない。会いたいのに会えない。
直接会うのは勘弁してください
http://d.hatena.ne.jp/feather_angel/20080725/1216945987
「友達になって『も』いいです」
「でも会うのは『勘弁』してください」
と、いかにも「頼まれたけど断る」かのような手紙を書いてくる人の思考回路が解りません。
「一緒にイベントには行けませんが、お手紙で萌え語りなどできれば」風に書けば特に問題ないと思うんだけど。
確かに理解不能ですよね。
でも、ブコメ見てそう言えばと思い当たるような節も。
遠い記憶を穿り返すと分からないでも無いような気がしてきた。
id:yellowbell ことば, 処世
申し出を断られることを極端に恐れる人はこの種の留保を使う傾向に。「私はどちらでもいいんですけど」という枕詞もよく使われる。「勘弁して」は、Aチームのコング?飛行機?と思ったけど、へりくだりの誤用かも。
上手くコミュニケーションとりがたかったりする人が心打ち震わせて堅い殻こじあけてなんとか通じたい。
でも、断られたらどうしよう。
拒否されたらどうしよう。
それを回避するために”でも・・・”と言い訳を作って留保をしてしまう。
心のさけびを想像すると、
感動した。響いた。是非思いを聞いて貰えたら語り合い確認する事ができるのならば・・・。
わかって欲しい。受け止めて欲しい。
でも、それには値しないような、どうしょうも無いちっぽけで駄目な自分と言う認識。
そんな思いから、おこがましさを感じて”でも、こんな自分は残念ながら会うには値しない存在”と言う思いが前面に出てきてしまう。
会う事がかなってしまった場合、もしくはひややかな拒絶の返答を突きつけられた(と勝手に思えてしまった)場合、どうせいつもどおり上手いコミュニケーションが出来るわけも無く、理解してもらえる訳もなく、寧ろ自分が惨めさを余計に感じてしまう可能性。
そんな拒絶、断絶を自ら防ぐ為に、
(いきなり、何の心の準備も交流も無しに)「直接会うのは(どうなってしまうか理解不能、予測不能である意味恐怖の為)勘弁してください」
と言うお断りを自らいれてしまう。
受け取った側の立場や気持ちにまでとても気が行かない。
作品に心奪われ、『同士募集』の文字を発見してしまい居ても立ってもいられなくなる。
人と上手く話せない、わかってもらえない、理解してもらえない。
だからどうせ上手く行くわけないやと自分自身に言い聞かせてしまう。
でもやっぱり心の奥底にある希望、それを潜在意識に押し込めてしまった為に自分でも良く分からない何かに突き動かされ、思わず筆をとる。
しかしマイナス方向に意識を育んでしまった為に、自我がイヤ待てどうせと死神の鎌を振り回す。
そんな不安と期待と焦燥、どうせ受け入れてもらえる筈も無いけどと言う諦め、パンドラの箱の底のちっぽけな希望、そんなものがない交ぜとなって、胸をどきどきさせ、恥ずかしさに冷静を失い手短に筆を走らせてしまう。
「友達になって『も』いいです」
「でも会うのは『勘弁』してください」
結果そんな舌足らずの表現になってしまう。
自分でも何故書いているのか理解不能。
気恥ずかしさが前面に出てしまい、何を書いたのか、どう受け止められるのかすら考えることも出来ない。
それは、ありそうな気もする。
と言うか思い返すと自分が10代はじめの頃はそんな調子だったような気がする。
そして、実際に会おうなんて事になったら、嫌われたらどうしよう、などと自分の欠点をベースにあれこれ妄想を膨らませ逆に脚がすくんでしまう。
話となったら、何も話せなくなってしまうに違いない。
そんな思い込み。
でも、実際に会って何らか共通項などが見いだせれれば話すことが何でもなくなっちゃうのだろうけど。
気持ちとしてはこんななのだろうけど、他者となんらかの想いや趣味嗜好などを語らう機会が得られなかったりしたら、理解や受容欲しさの心の叫びに、受け手には誤解を与える妙な筆を勢いに任せて走らせてしまう事も考えられなくもない。
わずかな希望を手紙に託して、でも実際はこんな気持ちをこめていたりするのかも。
Beautiful World 宇多田ヒカル 歌詞情報 - goo 音楽
宇多田ヒカル「Beautiful World/Kiss & Cry」特集 - goo 音楽
そう言えば twitter でろくな挨拶も無しに妙な reply したり、記事にちょっと痛いコメントしてしまったりって、こんな心理みたいなものが働いてしまっている事がある気もする。
2008/08/03 追記
上記のような気持ちや状況に陥ってしまったりするのはあると思う。
だからと言って、いつまでもそれを続けていて良いわけではない。
何故伝わらなかったのか?そこから何故上手く伝えられなかったのか?
どうしたら伝えることが出来たのか?
実際に会って話すのは、場数を積まなければ誰だって上手くは出来ない。
でも、文字や文章であれば見返す事は出来る。
好きな人宛てとかだと、自意識過剰で舞い上がってしまってなんてことも、極若ければあるかもしれない。
だからこそ、明確な相手に宛てた文字や文章では受け止めてもらえるように配慮は絶対に必要。