車が売れなくなったわけって?

東京モーターショーも盛況のようですね。
そんな時節柄も手伝って”車が売れなくなった?”にまつわりBlog上で幾つか記事が上がっていました。

それら拝見しながら、そうだよな〜とか、そうかな?とか思いつつ調べてみたら深みに・・・。
まとめるのが下手くそのために金曜日から悪戦苦闘したままやっとエントリー。


2007/10/30

ちょーちょーちょーいい感じ:車が売れなくなった理由
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若者が車に乗らなくなっているのは、車への憧れがなくなってきたからだそうです。でも、本当にそうですかね?なんとなく、無理やり車への思いを封印している気がするんです。ってのは、車を買うにはローンを組まないといけない、または、他の欲しいものが買えなくなるなど、可処分所得へのなんらかの制限がかかるので、無理やり車はいらないと思い込んでいるんじゃないかと。


なんかそういう、いろんな違う価値観や楽しみをもっと車メーカーは一生懸命訴求するべきなんじゃないかな〜と思います。それが不足していることが車が売れない理由なんじゃないかと思ったりもします。今回のモーターショーでも車の楽しみはスポーツカーで喚起しよう!みたいな雰囲気ですが、スポーツカーだけに頼るのも違うかなと。

買いたいけど、買えないのでは?
かと言って今更スポーツカーを提示してくるのも違うのでは?

といった方向。

元記事にはまだあれこれ書かれていますので、そこは是非元記事をあたってみてください。


2007/11/02

FPN-車が売れなくなったのは当たり前。
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個人的には、車が売れなくなったのは当たり前で、むしろ今までこれだけ車が売れていたこと自体が不思議だと思っています。


車を持つために、必要なのが、ローンだけだったらいいんです。しかし、現実には車を買うためだけではなく、車を維持しているだけのためにかなりの出費が必要となります。

ひと通りあげてみると、
・駐車場代
・駐車場を借りるにあたっての追加費用(礼金、敷金)
車庫証明手数料
自動車税
・保険代
車検費用
・ガソリン代
・高速費用
・出かけ先の駐車場代
・その他、メンテナンス費
(下の4つは、車を維持するというよりは利用したときにかかる費用ですね。)

こちらも元記事にはまだまだ色々記述ありますので是非確認していただけたらとおもいます。

兎にも角にも、他の物事に対して車にかかる費用が大きすぎる。
都内なら車無くても済むし、レンタカーの方が効率的かつ経済的。

ということのようです。


2007/11/02

車が売れなくなったのは当たり前。その2 | 製品/プロダクト | 世界を巡るFool on the web | あすなろBLOG
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もちろんPCのように支払っている金額は少なくなって、得られる体験が増えているものも多く存在します。


支払っている金額が同じであっても、得られる体験が変わっていないのであれば、その費用はユーザーにとっては相対的に割高になっていっているのではないでしょうか?


このような点について車はどうか?と考えてみることで、答えがでてくるのではないかと思っています。


アイテムに支払った対価に対して得られる体験が車の場合PCなど他のものに比べて著しく低いのではないか?

と行った側面の指摘


補足:車が売れなくなったのは当たり前。 | 技術動向 | 世界を巡るFool on the web | あすなろBLOG
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しかし保有率が低い都市部では前述のエントリのような状況があるからこそ、保有率が低くとどまっていたりするわけで、そこにこの「車が売れなくなってきている」という現象の本質があるような気がしています。


最近の車に、心ときめくような魅力も対して無く、もっと為になったり知識や機会とできるPC、Net、株など対投資パフォーマンスが良いものが増えている。
相対的に価値も下がっている。

なんていう立場のようです。


車とかメカもの、アイテム好きからすると、そうではあっても、やっぱり手に入れて使い込んでいく事で湧く愛着とかも捨て難いのですけどね。



でも、車が売れないと言う話題に反応して3記事を書きあげるあたり、実はツンデレ?と思ってみたり・・・。
相反するような形で、車に対する思いを募らせているような気もしてしまいます。

お気に入りの車自慢したら、”センス疑う”と言われてしまったり、そんなもの扱いされちゃった〜なんて事があったり?

自分勝手な妄想本当に本当にスイマセン


2007/11/02

車が売れていないという誤解或いはあんた馬鹿ぁについて - 量産型ブログ
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データを確認すると確かに新車販売は低迷を続けているものの中古車販売/軽自動車を含めて考えれば、「車」が売れていないわけではないことが分かる。


要は購入パターンが変化した、と言うことでしょう。

また、環境問題を考えるとかつてのような自動車販売を行うのではなく、新しい自動車利用の提案とその上で利益を上げる体質作りじゃないんでしょうか。


こちらは明確にグラフを指し示されています。
是非グラフが表示された元記事を確認してみてください。

そうでした。上記までのの各記事を見ていると車が全て売れないように聞こえちゃうのですよね。
でも新車販売。
若年層が新車を買えない事実は確かにある。


ところで、若者でも実は女性が軽を保有しているケースは結構多いなんて事を見かけた事がありました。
実生活と結びついた何か?があるようなんですよね。

そこで検索。

あ、まさにそうなのかと言う記事がありました。

ブログ時評 : 車が売れない現象は若者の指向変化か [ブログ時評79]
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 日本自動車工業会のJAMAレポートNo.100「運転者の変化と使用・保有状況」にある「図8.主運転者年齢」から1995年と2005年の分を以下に抜き出す。

 年齢層  1995年 2005年
 〜24歳  10%   5%
 〜29歳   9%   6%
 〜39歳  24%   21%
 〜49歳  29%   23%
 〜59歳  17%   23%
 60歳〜  11%   23%

 1995年の販売台数はずっと多かったのだから、10年間で若い世代の乗用車購入は半分に減った印象だ。20代まで合わせて11%の状況では、クルマは若者のものとはとても言えない。そして車離れは上の世代にまで及んでいる。10年後の調査だから、世代がひとつずらせる点に留意して数字を見て欲しい。20代から上に波及している傾向は、新聞購読者やNHK視聴者での若者離れと似通っている。


 「若者のクルマ離れ…都会で売れない」(response.jp)は2007年1月、サンプル3000のインターネット調査で男女20〜34歳層の「車を欲しいと思わない」理由を以下のように集計している。
 1位…今の生活では特に必要性を感じないから(74.1%)
 2位…車の維持費・税金が高いから(52.0%)
 3位…他の交通機関で事が足りているから(51.9%)
 4位…車以外のものにお金をかけたいから(43.9%)
 5位…車本体を買う金銭的余裕がないから(36.9%)

 この調査にはどんな企業に車をデザインして欲しいか、問う項もあり、そこではソニーやアップルが上位を占めた。先日、タクシーから、あるGTカーのリアスタイルを見て痛くがっかりした経験がある。こんな不細工な車、自分なら決して買わないと思った。かつてクルマ好きの私だからこそ、現在の日本車にときめくものを感じるのは難しい。


 では、若い世代は本当に車を見捨ててしまったのだろうか。それが判ると面白いと、警察庁の免許保有統計の数字を国勢調査の世代別人口で割ってみた。

  世代別の運転免許保有
  2005年  男性   女性 
  20〜24歳  88%   79%
  25〜29歳  97%   89%
  30〜34歳  98%   91%
  35〜39歳  99%   91%
  40〜44歳  99%   89%
  45〜49歳  97%   84%
  50〜54歳  94%   75%
  55〜59歳  95%   68%
  60〜64歳  88%   51%
  65〜69歳  84%   35%
  70〜74歳  76%   20%

 運転免許保有率がこれほど高いとは知らなかった。若い世代も女性を含めて十分に高い。マイカーは持たない、あるいは持てないとしても、車を走らせたい気持ちに差は少ないのではないか。文句無く良いクルマがあれば、そして若い世代では3分の1にも達している非正規雇用、低賃金の状況が改められるなら、国内市場は再び膨らむのだろう。膨大な利益を上げている自動車産業には、その期待に応える義務がある。

うあ、大半引用してしまいました。スイマセン。
こちらもまだ言及されているポイントありますので是非元記事見ていただけたら幸いです。



 この調査にはどんな企業に車をデザインして欲しいか、問う項もあり、そこではソニーやアップルが上位を占めた。

この部分に関しては、2007年フランクフルトモーターショーで日産は mixim なんてコンセプトカーを提示されていましたが、このあたりの調査結果を反映してすかさず形にしてみていたということなのかもしれないですね。


当方fc2ブログでこんな記事書いていました。

日産ミクシム(Mixim)ゲーム画面のようなバーチャル表示系の3座式コンセプト【フランクフルトモーターショー07】

http://julajp.blog53.fc2.com/blog-entry-451.html


また、レスポンスさんのミクシムの写真蔵記事はこちら。

【フランクフルトモーターショー07】日産 ミクシム リアル/バーチャル写真蔵| Response.
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と、話を戻して、ブログ時評さんでは数値を引き合いに出されて、その数値からあれこれ読み取られて分析されています。
もう分析されている通りですね。


ブログ時評さんの記事などを見させて頂くと、車が売れない、売れるのが不思議という見方は都内ではあてはまっても日本全体だとちょっと違いそうと言うのが判ります。


車って足であり場であり空間でありメカであり操るものなんですよね。

大袈裟に言ってしまえば自ら操る人馬一体の時空移転装置。

ハンドルを握るのは自分ですから自分の思いで行き先、行き方は好きにできる。

高速に場を移せる。

その行為の最中、運転に必要な脳が活性化して集中できる。

なんて具合。

”ブログ時評”さんの記事で出てきた、


JAMA - JAMAレポート -


こちらの最新レポートが以下

JAMA -JAMAレポートNo.101 生活と仕事を支える軽自動車
〈地方〉と〈女性〉と〈高齢者〉
…平成17年度『軽自動車使用実態調査』より-

  • 軽自動車の保有・需要台数推移
  • 軽自動車の使用実態変化
  • 交通が不便な地方の「足」
  • 女性の「足」として
  • 高齢者の「足」として

軽自動車
女性
高齢者
地方の足

と言うキーワードが出てきています。

この辺をしっかり見据えないとならないのでしょうね。


ところで、自分なりの解釈というか私見というか。

●歴史

ところで振り返って見ると車って200年以上の歴史がある。

自動車 - Wikipedia

wikiの自動車についての歴史部分などを見ると、車は無くてはならないものとして現代まで続いているのだな〜と思えます。


交通手段や移動に不自由しない都市部以外では車無しは考えられないでしょう。

人々が現代での時を重ねる事で、旧来の村という単位を越えてしまい、買い物通院等々生活での移動シーンにおいて手短だけでは済まなくなっている現実があるかと思います。


●市場の飽和、爛熟期

戦後の復興の煽り。
団塊世代の牽引で欧米を追い越す事を励みに邁進。

車の製造販売もバブル期あたりまではまだ30代突入みたいな人間に例えたなら青年的な局面だったのかもしれないとも思えます。

でももう日本においては車市場の飽和に来ているのが現実なのかもしれないとも。

あって当たり前。
現実的な車選びに於いては車で夢を見ている暇は無い。

日本の市場に於いて、今までどおりに右肩あがりに売り上げ台数の増加を考える事自体がナンセンスなのかもしれない。


●成熟期

更に日本的な舗装された道路を走る、そのような快適な車はある成熟の域に入ってしまったのかもしれない。

人間で言えば30〜40はとっくに迎えているような。

結婚し家庭を持ち、子供が出来た。

でも経済はきつい。

すると夢みたいな車について語っている訳にもいかず、現実の家庭生活の中で折り合いをつけるしかない。

一方で、子供の養育をしながら働く女性など、車が無ければ就業についても非常に選択の幅が狭まってしまうという現実もある。。


●大人になったら育成、分配

上で人間的かつ年齢的な例えをしてみました。

子供を養うような大人になったら、子供を一生懸命(或いはそれなりに)育てる。
できれば、その子供の行く末や次代を担ってもらえるように。


ここをちょっと強引だけど、雇用の関係に置き換えてしまう。

雇用する側を大人。

労働者を子供として。


雇用する側が不足なく分配しなければ、子供の良好な成長は望めないかもしれない。




更に、国家が大人と無理矢理見做して、民衆を子供と見做したら?

やっぱり民衆に益だったり栄誉だったり売り上げが還元されなかったら、当然不平不満と不買などは芽生えてしまいかねない。



公共団体が作る交通機関は莫大な費用がかかる

動けるものは自分で動くがいい

ただ個人が勝手に購入する耐久消費財と言う扱いでいいのか?

社会においての車とその車でできる国家レベルの貢献みたいなものは?



●国家や経済が車に依存しすぎて居ないか?

更に話を大きくしてしまう。

かってモノヅクリ大国だった日本。

車に関わるモノ、技術など、様々な産業との関係。

重要な産業として国を牽引してきた。

ところで、その国家が、車に関する様々なものからかなりの徴収をしている。

もしかして、車というのは高級なもので、それなりの稼ぎがあるあるからこそ購入が可能。

だからこそ様々な税金などがかけられる。

そして駐車等に関しても結構な額の徴収が容認される。

過去の車はそういうものだったのかもしれない。

ところで今車は?

都市など一部を覗いては生活必需の足となっている。

それにも関わらず、おそらく昔の価値基準のままに税金等を一律徴収する事自体が望ましい事なのだろうか?

仮に徴収されるものが半分になったとしたららこぞって一段上のクラスの車を買うかも?

車は無くてはならいのであれば、適正な徴収とならないと。

国や経済を支えるものになり過ぎていたりしないだろうか。




●車の魅力の創造

ちょっと前までは車は魅力を感じさせるものだった。

車は、昔は高級品などのようにステータスと繋がるものがあった

日常の足となった瞬間、魅力云々を前面に出してアピールしたり自慢する事自体がナンセンスになってしまったかも。

国内でそれをあからさまにやるのはもうむしろKY的在り方とも言えてしまうかもしれない。

しかし東南アジアなど、今現に経済が伸びているエリアでは活発な需要が見込まれる。



●まだまだ魅力を語れる市場

一方で、東南アジア圏など順調な購入意欲。

探せば海外には市場は確かにあるだろう。

すると、話題やイメージと言う点で日本本国でも魅力を演出しておかないとまずい




●車がある事、意義

車があるからこそ、潤い、豊かさ、暮らしやすさ、国、そして人々が喜び豊かさなどを享受できる。

車無しで社会を考える事に無理があるようにも思えてしまう。

もしもみな車など見向きもせずに古本屋やPCに行ってしまったら?現実の流通が乏しい、モノの流通がなくなり

仮想やデータの動きばかり。決まりきったものしかなくなってしまうのかもしれない。


お年寄りなど、骨粗鬆症、腰痛など車無しでの移動が考えられない状況は多々あるのではないか?

過疎化が進めば進むほど、車は手放せなくなる。

昔は、村や地域、エリアに必要最低限のものは個人商店と言った形で揃っていたのだと思う。

けど、売り上げ効率優先で小規模商店はどんどん潰れていく。

駐車場完備の大型ショッピングセンターなどに様変わりしていく。




●都内などの都市部


核家族化が進むと、日常の足が無いとつらい。

どこにでも交通機関が完備されているわけではない。


一方で都内などの都市部、また都内以外でも駅や買い物職場の便がいいところに住んでいる、それなら車は寧ろ不要だろう。

すると車は無くてはならないという訳ではない。

必ずしも保有していなくても生活が成立してしまうかもしれない。

ならば各種交通手段が発達した都市部では、公用、商用認定以外の車の進入を止めるくらいの措置が必要なのかもしれない。



●車の位置づけ、これから

車は必要不可欠なんものとして誰もが持てる。

特にお年寄りが使い易い、もしくはお年よりをサポートする車。

そういうものが最優先されるようになっていくのかもしれない。


そのうえで、生活必需品としての認定。

昔ながらのままの税金や各種手数料の取りすぎを控えるような検討も必要なのかもしれない。

車がより流通し、積極的に利用されれば、周辺の産業も活性化しうるのかもしれない。


日本国内では(海外向け)ステータス作り、技術的先進性、安全性の追求も進める。

一方で日常の足等々、送り出すエリアや主な用途毎にマッチするように一律の価値観ではなく、ステージにあったフィットした車がますます必要となって行くのかもしれない。

更に社会が、車は高価で贅沢品というポジションから、生活に車が無くてはならないものとして取り扱う意識が必要なのかも。

モノ作り、自動車立国、合わせてIT要素も積極的に被せていく。

ITの要素がうまく組み込まれれば、地図情報に留まらないコンテンツもより必要性が増すだろう。

国をあげて、基幹産業の見直し、社会での様々な使途に応じたマッチングの検討。

次世代産業をお年寄りなど、体が不自由な人にこそ役に立つ方向に持っていく。

そういうものは、今直ぐに結果が出なくても、今後ますます必要性が出てくる。

そんな形で車の流通を確保しつつ国内だけでない海外展開にも国として取り組めるような、見直しも或いは必要なのではないだろうか?