朝の車通勤。なんとか前に出ようとしたりしますか?

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F's Garage:最も早く走るための車線の選択

記事タイトルの示すような、車のネタって珍しいなと思いつつ見てみました。元記事は仕事についての話になっちゃうのですが、車の走らせ方なんては興味覚えてしまいましたので。



最も早く走るための車線の選択[会社活動]
学生の頃、2年間ほど車で通学していた。往復70kmを渋滞の中、毎日通っていて、今からは想像もつかないほど元気だった。

途中に片側で3車線ある大きなバイパス道路があって、渋滞するとどの車線を走ることで、遅刻せずに一限の授業に間に合うのか?というのをよく考えていた。

一番目的地に到着するのは、最も右の車線か、最も左の車線を生かすことだ。

右か?左か?というのは、その先の道が右折レーンがあったり、左折渋滞するかもしれないと言うことで、つまるところ

「スムーズに走れないリスクの高い車線が一番早い」。

真ん中の車線は、右折、左折の影響は少ないので一番安定している。
結果的に一番車が集中する。車線が遅かろうと、待ってればいずれ通れるので、やっぱり一番車の数が多くなる。

高速道路と違って、追い越し車線が一番早いハズという単純なルールではないから、場所場所によって有利不利な車線は入れ替わる。

2年間も毎日走ってると、繰り返しの中から見えてくる何かってのがあって、

「人は常に安定を求めたがる」
「安定してるなら遅くても良いと思ってる人がいる。」
続き・・・

続きは元記事を見てみて下さい。

この話を起点に仕事の方向に話が向いていっていました。



車通勤だと、やっぱりいつでも前に行っちゃう人が居る。
そういう車は大概いつも先に行く。

特別に早いと言う訳ではなくするりするりと前に行ってしまう。

その車が何故そっちにいくのか?きっとこの信号での右折渋滞を避けるのだろうな。今度はこっちの詰りか。

そんな事も合わせて考えると色々見えてくる事がある。

見方を逆にして、確かこの車は途中で曲がるんだったよな。

こいつはいつも出だしのんびり。

そういう動きの特徴なんかも覚えていたりすると、流れの中なんだけどちょっと前に出たり、ひっかかりをかわして先に行けたりする。

たかだか片道13km。それでも信号20程度あるので、走り方や渋滞の状況で20〜40分の間くらいで変わってくる。

じゃ、そういう工夫とかを仕事や人生に、と言うとまた難しかったりなんだけどね。


ところでなんでこんな事?というと

・最近ブログで相容れない主張が対峙した末、閉鎖とかになったケース見てました。

・車の運行みたいな感じで、好きな車にのって、適度に合図だしたり信号に応じたりしながらそれぞれに行きたいところに行ければいいのにな〜、なんて思ったりしていました。

・また車の運転や運行って、人生?とか何かの取り組みに照らし合わせてみると案外面白いのかもなんて思ってみたりしたもので。



もうブログは閉鎖しちゃったので残っていないのだけど、ブックマークの方で復元されている。

はてなブックマーク - ある個人史の終焉 - after game over


この元記事に、ブックマークとともに以下の突っ込みが入っていた。

heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ


そして様々な人に伝染するかのように話題が広がり、また、人様々な思いを絡め取って拡大した。


人それぞれに色々と事情や背景は様々にある。


でも車だと、事故を起こさないように互いに注意を払って運転して、無事に目的地に辿りつこうとする。


車と言う箱の中におさまって他者と直接面と向き合って話しや主張を交換したりぶつけあう訳じゃない。車の挙動やウインカーなどを介した間接的なコミュニケーション。

これだから、生の情動や感情を聞く必要もなく気楽な部分もあるけど。

でもよくよく考えると、色んな人が色々な体調、精神状態、考え事、等々しながら同じ道路の上を走っている訳で、そうそう事故も無しに運行しているのって凄いよなと思ったりする。

だって、このような車の運行を全てコンピュータシステムに管理させようとしても、とてもじゃないけどこんな融通が利いた在り方なんて、今のシステムではあり得ないだろうし。


そんな感じで、ちょっと気になったら、クラクション、パッシング、ハザードなんて出し合うのはいいと思うけど、車をじかにぶつけに行く、もしくは目障りに思えた車を壊しに行くかのような言動は謹んで貰えたらと思って。

車なら事故とならないように注意を払ったり踏みとどまれるなら、ブログでもそういう気遣いもって貰えたら。


車って、やっぱりお気に入りで大事にしたい、勿論事故を起こしたら何かと面倒ってのはあるけど、自分の大事な車で態々事故を起こしたいとは思わないと思う。

翻って、ブログって自分の記憶や想いを託している。

価値として、時に車以上に大切じゃないか?

まあ、しっかりバックアップ取ってあれば、単なるデータとして取り扱えるから大した事無いさ、とも言えるかもしれないけど。

でも、結構分身的なところ、ネット上の部分的、もしくは仮の姿もしくは、ある一面の於いて本当の私だったりする。


窓きっちりしめた車の中でなら、大声だして歌おうが何しようが構わないと想う。

でも、昔の族車のようにトーン付きのホーンでゴッドファーザーのテーマを大音響で轟かしたり、思想的主張を大音響奏でながら走っていく車は交通をかなり乱してしまう。

リンクやトラックバック、ブックマークによってはまさに上のような、無闇矢鱈と他者の気を引くような行為になりかねない。

大概は自身の抱え持った痛みを上手く表現だったり留める事が出来ないからなんだろうけど。

もし自分のブログが大切に想え、なんらかの品性を備えたいと思えるなら、無用な事故は避けて互いに無事目的地に付けたらなと想う。


その目的地には、家族や職場、自身が休むところがあったりするのだから。