翼を持った小鳥と罠に傷つき怯え吠える子犬


ひ弱な小鳥同士、やっと子供を授かり

その喚起にむせび泣いていた。

あまりに、心に響くその音色に思わず耳を傾けざる得ずみな振り向き立ち止まっていく。


一方で物陰で、誰が仕掛けた罠か、その罠に嵌り締め付けられもがいても抜け出す事ができない汚れた子犬。


その時歓喜の音色と賞賛の様子。


自らの痛みと悲しみに、そして罠を仕掛けた人間に対して呪怨の叫びで吠え立てる。


こっちの痛み、絶望、悲しみ、そんなものは放置され、歓喜の声を上げる奴。

それを賞賛する奴ら。


その深淵からの絶望と痛みに満ちた遠吠えに、人々は恐れおののく。

吠えているのは傷つき疲弊した子犬にも関わらず。



やがて、小鳥はその音を奏でる事をやめ、別の天地へ飛び立っていった。

人々の期待や羨望、賞賛と言った、込められ投射される思いを振り払うかのように。

実は森の奥深く、あるいは下まで届かない、とても高い木の上に巣を作り直し、今まさに子を育んでいるのだろう。

上手く育ち羽ばたけるようになってくれれば良いのだが。



一方、罠からは解かれた子犬。


まだまだその据え付けられ嵌ってしまった罠のトラウマを振り払う事が出来ず。

そこに餌があってもそれは振り払い、ゴミ箱を漁る。


しかしそれにも疲れ果て、やっと寄る辺となる港と鎮静薬を得る。


港と薬で落ち着きを取り戻した事で、怒りを抑えながらぼんやり眺める。

無邪気に喜ぶ子、そんなところに、憎しみとは違う素直な羨ましさをふと覚える。



もしかしたら、自分も享受できるのだとしたら?


そして、思いをアクションにうつしていく。

どうせ、そんな期待に応じる都合の良い存在なんて居る分けないと思いつつ。



しかし、思いとアクションが功を奏しまさかの実現に漕ぎ着ける。

幸せのあり方のごく一部ではあるけど、得ることができた。

まんまと罠に陥り抜け出す事は不可能と信じて疑わなかった深淵から、自らの思いとアクションで

当たり前の幸せの一つを図らずも得た。

過去の悲しみの叫びを歓喜の叫びで塗り替えながら。


得られる。

それを知り、絶望の深淵から抜け出すあしがかりは出来た。


ただ、その階段は依然として容易ならざるもの。

鳥のように軽やかな翼を持つ訳でなく、その地に付けた足で一歩一歩踏みしめる。

しかし、過去の絶望の深淵を知るからこそ、その歩みは重い一歩として刻み込まれていく。


まだ、子犬。


その階段を踏みしめ上がって行く事で、同時に一つの大人となっていく。

そして、無事地上に這い上がる事が出来たなら、是非、その際には静かな拍手とささやかなさえずり、歌声を聞かせてもらえたら。

勿論、自身の子供が無事に成長を見せていたらで構わないから。

そして、また直ぐに飛び立って行ってしまって構わないから。

ところであなたは、子犬?小鳥?様子を見つめるオーディエンスとしての聴衆?

それぞれの思いに何かを感受する人?

ただ滑稽に受け止め笑い飛ばす人?

それすら煩いと追い立てる、劇場の管理人?


他者と他者の織り成す人生劇場の一つから、良くは判らない何かを得る事ができたなら、それで充分じゃないか。



まあ、美化し過ぎのたとえ話ですが・・・。


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