はてダと増田-あるいは仮想のゆらぎゴーストの闊歩
はてな匿名ダイアリー での書き込み
ときどき、僕が増田で書いたエントリに「増田じゃなくて、はてダで書いて欲しい」みたいなコメントをもらうことがある。でも僕ははてダでは書かない。
というか、書けないのだ。
反応がそこそこ大きかったエントリは結構あるが、そのどれもが、キャラクターとしての一貫性がない。
エントリによって、その後ろにすけてみえる「書いている人」の影が、余りにバラバラなのだ。
時には非モテ問題について言及する20代のモテない男であったり
「そこそこ彼女もいた、それなりにリア充」の男であったり
ときに厨くささの残る青い少年であったり
あるいは理系大学へ通う女子大生であったり
音楽について熱い主張をする女子高生であったりもすれば
30代の社会人であったりもする。
様々な人格性、キャラでもって書き込みをするとの事。
id:ululunさんはブログの書き手として、あくまで自身の手中で掌握しておきたい事を軸に書かれていた。
はてダと増田-あるいはid:ululunがはてダにエントリを書く理由 - 煩悩是道場
私が匿名ダイアリーにあまりエントリを放たない理由は、私という人間が思考した結果を一つの場所に表現という形で他者にもわかるように見せたいからだ。
ブログや表現の主体性を考えると、やはりどんなものであれ、それが自身からそして自身の思いから発したものとして紐は結び付けて置いた方が好ましく感じる。
splogみたいにコピペで好き放題されちゃうのも癪だしね。
でも、何か違う読め方がしてしまった。
こういう人がどのくらい居るのかが気になる。
ブコメでも数人”あるある”と言う方向のコメントが見かけられた。
という事は、増田にはそういう属性の人がそこそこ居るのかもしれない。
自分の言動である!、自分の一部であると言いたい人はあまり増田に行かないだろう。
でも、完全に切り離された言葉。
自分の主体とは切り離した、ポジショントークとはまたちょっと違う、ある立場であったならばと言う思いが膨れたのだとしたら?
複数のキャラクタに語らせ物語を進行させていく作家などは、こういう様々な人格の絡みを同時進行でやっているのだろう事はなんとなくイメージできる。
おそらくそれの、プリミティブなものなんだろうなと言う気がする。
しkし、それを半端にやりだすと、自己同一性、アイデンティティみたいなものが揺らいで自分が分からなくなってしまいそう。
出来れば、今自分の○×人格は、なんて感じで書いてくれたら面白そうなんだけどな。
それでもなりきらずに居られない?
なりきる事で、語れる事がある?
感受性や観察力と想像力?、そこから類型化し表現する?
作家というよりも、むしろ役者タイプなのかもしれない?
ストーリーを軸に同時にあれもこれものキャラの思いを絡める訳でなく、あるキャラクターに集中するのならば。
自己の中におぼろげに結ぶイメージに投影して思考や言葉を紡ぐ。
役者さんが役作りをする際に、こういう人物で、こういう状況だと一体どういう動作、表情をするのか?
どんな感情や思いを抱くのか?そして、そこに付くかもしれない必然的なセリフは?
そおういう演技につながる役作りに近いのかもしれない。
増田の場合そこまでのなりきりはまではしていないで、セリフが中心なのかもしれないけど。
いずれにしても、ある特定の統合されている(であろう)人格からはずれて、様々な立場、境遇に感受、投影してなりきって言葉を紡ぐと言うのが非常に興味深く感じた。
作家気質や役者気質を持った人は、そういう方向性持っていたりするのかもしれない。
ある意味様々な人格の使い手なのかも。作家は様々なキャラを使う。役者は感受同化しなりきる。もし役者的資質が大きいとしたら、何故そうなってしまうのかは言い難いかもしれない。演じずに居られないと。
でも、作家も役者もあくまで自分と言う軸がある事で役柄をしっかり作れるのじゃないか?
考えてみると、ゲームが普及してロールプレーイングゲームなどなりきる、演じる、そういう機会は圧倒的に増えている。
何かに成り代わる事で一瞬でも集中、安定がもたらされる感覚を覚えるのか?
それは、下手をしたら自我なり自己という軸を定めずに曖昧なままにしていられるからなのかもしれない。
もしくは、様々なキャラになれる事で、固定してしまう、また固定されてしまう事のない自分を確認しているのかもしれない。
そして id:hebomegane さんのエントリー
だけど、僕にはもうネット世界にも自分の居場所というものが出来つつあるんだよね。あちらはあちらで現実ほどじゃないけど沢山の繋がりがあって、簡単に無かったことにも出来なかったりする。だから、しばらくはバランスを考えながらの二重生活を続けていくことになりそうだ。なんてことを携帯で書きながら街を歩いていたら前から来た人とすれ違いざまに肩が触れた。また知らない内にネット世界に飛んでいたみたいだ。そんな風に現実にも干渉してくる仮想世界か。バカみたいだ。
こちらのエントリーに付けさせてもらったブコメはこれ
思考とその結果こそが本物と仮定したならば、ネットの方が確実に刻まれる実体。しかしそこに肉体感覚や時間感覚が伴わない。電脳の中のゴーストの居場所とか。ゴーストを飛ばしているのかも。
こちらと絡めさせて頂いちゃうと、”はてダと増田”の増田は、自分から自身と切り離した肉体を持たないゴーストをネット世界に解き放ち何かを確認しようとしているのかもしれない。
主体との繋がりのないゴーストは、電脳世界で自身のマスターに認知される事もなく、あても無くさ迷い続けるのかもしれない。
やがてそのゴーストが、自身の肉体、拠り所を求めて放った主体に押し寄せて来た・・・
なんてSFめいたエピソードも考えられなくは無いか。