誰がどうやってそれを作り上げたのか?
誰がどうやってそれを作り上げたのか?
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20080212/1202786275
増田とTumblrと著作権 - 煩悩是道場
id:ululun さんがアップされていた記事、別視点から反応エントリー
web上のものは皆のもの
上記匿名ダイアリーで"皆のもの"と言う記述があり非常にひっかりました。
皆のもの?
誰がどうやってそれを作り上げたのか?
そんな視点は無いのかなと思ってしまいました。
しばらく前に、ポテトチップスが畑から直接採れるかのような表現のCMがありました。
現代の都市部の子供って畑や野菜果実などの収穫を見る事が無く、食べ物ってどこからやって来るのか?なんて事が判らなかったりするそうです。
スーパーやコンビニの店先に並んでいてお金と引き換えに手に入るもの。
そういうところで認識が止まってしまうのでしょうか。
だとしたら不幸極まりないですね。
私の場合は、父、母の実家が元々農家で、動物や野菜の世話や収穫などについて子供の頃話を聞いていました。また、自分の実家の庭先に極小さい菜園があり、きゅうりやトマト、ナスなどいわゆる路地野菜なんてが植えられそれを食べたりもしていました。家の前が田んぼなんで春夏秋冬の四季があって稲が穂を結び、収穫され春まで待つなども見て取れました。
例えばそんな野菜を頂くにも以下の作業が必要。
細かくするとまだまだたくさんやる事あると思いますがざっとこんなとこでしょうか。
- 畑を耕し、土が呼吸し易いように整えてあげる。
- そこに野菜の種を撒き、場合によってはござとか生育し易いように調整してあげる。
- そして肥料や水をあげる。
- 雑草を取り除く。
- やがて芽が出てきたら、今度は虫が付いて居ないか?など様子も見る。
- そうこうして、野菜が土から水分、無機物の養分を十分吸い上げる。
- そして太陽の光というエネルギーを取り込んで光合成をしながら養分をしっかり蓄える。
- それがやがて実になる。
- 人と土と太陽と更には土の中の様々な微小動物や菌類など協調してバランスが成立してやっと野菜を収穫し頂く事ができる。
- どこかが不味ければ育たなかったり枯れてしまったり。
- それでも路地野菜物などの植物の生命力は旺盛で結構育ってくれたり。
- ポテトチップスであれば、そうやって育成されたジャガイモを収穫、輸送。
- 品質管理などで取捨選択。
- 表面の皮を取り除き、スライスして揚げる。
- それを袋に詰め密閉する。
- それらがオーダーに応じて店頭に並ぶなんて順番を経ている。
他にも
そういう様々な作業、手間暇、自然の恵み(土、太陽、風、微小動物、昆虫、菌、鳥等々)と折り合いつけながら自分たちの手元にまでやってくる。
しかしそういった間、連続性、そんな事を思い描く事が出来ず、ただあるとしか思えなくなっているようですね。
収穫して、頂くという事はもしも自分でやろうとしたら全ての工程を経ないと出来ないことです。
なんて事で、誰もが避けて通る事はできない食べ物を引き合いに出してみました。
では誰かが作り出した作品はどうなのでしょうか?
ぽん、といきなりできたのでしょうか?
いきなりWEBに公開されたのでしょうか?
作品を生み出すには眼差し、取り組み、試行錯誤があっての事ですよね。
上記の野菜などは育成から収穫、パッケージングを経てやっと手元にやってきます。
ほら、コカコーラだってかなりの人の手を経て出てきているじゃないですか
そりゃ違うって。た、確かに・・・。
でも、この発想とか、この作品作ったのってスゲーな〜と思います。
(2008年、最新Verがみつからず2007年Verですが)
お、これいいなと思ってあなたが、WEBに掲示した他者の作品。
それってどんな工程を経てWEBに上がってきているのでしょうか?
もしも自分でそれを生み出そうとしたらどのような工程が必要になるのでしょう?
そして、自身でそっくり同じものを作り出そうとしたら、同じ工程を経て直ぐに作り出せるのでしょうか?
形のあるモノにしろ無形の作品にしろ、背後に作者やスタッフが絶対居ます。
モノや作品があるのはいきなりそこにある訳では無いでしょう。
まして街の空き缶。
それは誰かが生産していると意識がすっぽり抜け落ち、自分の喉の渇きさえ癒やす事が出来さえすれば良いと言う短絡的な思考の結果でしょう。
自分が気に入ったなら、そのモノや作品がどういう工程をへて生み出されたのか?
そんなとこに思いを馳せて見てはどうでしょうか?
そしてどういう作者や生産者がそれを生み出したのか?
仮に捨てられた缶のように見えても、作者や生産者が居てそれを生み出そうとしたからこそそこにあるはずです。
気にいって、タンブラーに取り上げたりリブログするのであればこそ、その出自や経路を思い描いて見てはどうでしょう。
お気に入りであればこそ、どこをどう気に行ったのか、何に惹かれたのかが透けて見えてくるような工夫をしてみてはどうでしょうか?
そんな工夫や感想を作者が見つけたら、”まさにその部分”、とか、”それ違うけど、そんな風に思ってもらえるのか”、なんて感想などもって頂けるかもしれません。
でも、受け手としてのなんらかの意見、感想、レイアウトを工夫して更にシンボリックに見えるなどの工夫もなく自身のブログやタンブラーに出自も何も無くただはってある。
それって、缶の中の美味しささえ得られれば良く、後はその缶を打ち捨てたも同様ではないでしょうか。
2008/02/15追記
本記事、以下の記事見ての反応でもあります。
タイトル、URI失念してしまっていたため記事に盛り込めていませんでした。
母親のブログがものの見事にパクラレタとの事。
その後の経過はこちらとの事