あるいは携帯による礼拝儀式のように


「【コラム・断】携帯を手放せない日本人」コラむ‐断ニュース:イザ!
より。



Talby on Flickr - Photo Sharing!

Flickr: Photos from R26B
Japanese mobilephone "Talby".
Designed by Marc Newson.
au by KDDI.


記事冒頭部引用


 携帯の教え。国や民族間によってタブーとされる動作は異なる。ある国では好意的とされても、時によって敵対視されることにもなりかねない。

 列車内で突然、頭に携帯電話をかざされた。その主は画面を静観している。私の隣のかたも頭上にかざされている。周囲を見渡すと、あちこちでかざされている。かざされている頭の1点がむずがゆくなってきた。少々恐怖も感じてきた。これが1列のシートに集約されたときの情景は、まさに新興宗教の儀式に違いない。フリップフラップ型が多数を占めるために起こる現象だろうが、片時も携帯を手放せない日本人特有の風景で、笑ってしまう。

この後、携帯が主流となる以前は通勤電車の車内は漫画やゴシップ誌と言った週刊誌を眺めている人が大半。しかしここ最近は皆こぞって携帯を覗き込んでいる様子を記事では取り上げていた。


もしも厳格な宗教の元、ある特定の日時に決まって宗教の経典にあたりそれを朗読なり黙読するのが慣わしであったとしたら?そういう慣わしがある地域の人が日本の文化や宗教などと言った細かい事一切を知らなかったら?そしてそういう人が、通勤列車や混み合っている電車に乗り込む事になり、皆が皆一様に携帯を覗き込んでいる様を目の当たりにしたら?


わざわざ何かを覗き込むなんて、宗教の経典をみるくらいなのだとしたら?


こんな小さい不思議な装置で、時や場所構わず経典を見ているなんてなんて熱心な信者なんだろうか?なんておもったりしないだろうか?


昨今では電話の基地局を作ったり電線を敷設するのが難しい地域ほど、無線基地局と端末で済ませられる携帯が主流として整備されているという事らしい。


なので携帯がなんであるのか?を全く知らない人と言う方が少ないかもしれず、上記のような勘違いはまあ無いのかもしれないけど。


もしもという想像のシーン

電車で椅子に座っている人がもしも皆居眠りしてしまっていると仮定。
そしてつり革につかまりつつ座っている人の頭の上で携帯をかざしている、なんて光景があったら?


一体何を照射しているのだろう?


なんて感じに思えたりしちゃうかも。



日本特有のまるで儀式であるかのような、そんな事を連想してしまう日常の風景の切り取り具合がなかなか面白い記事だった。


あ、有害な電磁波投射しているのか〜〜(爆