非コミュとコミュの狭間について自分語り

"僕が非コミュである原因 - 遥か彼方の彼方から"
http://d.hatena.ne.jp/tek_koc/20080421/1208733345

共感を覚えずに居られず。

他者への関心が乏しいって言うのがかなりある。

もしも何か原因があるのだとしたら?

散々考える。

自分の場合は年子の弟が居る。
体が丈夫で病気もせず元気そのもの。

一方自分は体が弱く過敏だったとのこと。

”まだ生まれたばかりの弟の上に直ぐ乗っかっちゃって・・・”
そんな事を親から聞かされた。そんな事言われてもと昔はただただ困惑するしかなかった。(そんな事聞かされたら、おそらく悪者や余計な手間のかかるイヤな存在と認識されているのだなと言う感覚は残る)

年子ゆえに自分では意識なんて出来無い状態で、なんだか判らないけど親の関心が自分から一気に弟に集中してしまう状況となる。

赤ん坊の世話ってそれは大変だし。

小さな赤ん坊として面倒みてもらえているのが、一気に関心や優先度が下がらざる得ない。

更には、子育てのトレンドがスキンシップ優先ではなく、なるべく一人にしておいて自立心を育むというもの。

スキンシップが不足して温もりが欲しいからこそ、くっつきよりそうようにしていたのじゃないか?
しかし、親としては、小さくか弱い赤ん坊の弟に乗っかってしまう事で、危険、いじわる、みたいに自分をみていたのじゃないか?

そんな小さな時の記憶も何もないからただの想像でしかないけど。


そして更に決定的などうにもしがたい部分。

父親似か母親似か?

自分は父親似

弟は母親似

自分は散々父親似と言われつつ、でも母親は父親を毛嫌い。
子供の自分としては両方の血を分け与えられて出来ている。

父親を毛嫌いし、疎ましがる様子は、自分のルーツとなる半分を否定されている感覚。

親としても無意識、生理的に優先度が違ってしまうのではないか。

弟は屈託無く奔放にしている。

親に甘えすがりねだる事に何の障害も問題も無い様子。
更には人に話しかけたりも自然に出来る。

これは、やはり母親という存在に、おそらく条件なし、あるいは非常に少ない条件で受け入れられていると安心感、許容されているという感覚があり、自己信頼、自己許容、自己受容、自己承認が出来ているのじゃないか。

自分はOKと言う無意識な感覚。

一方、兄である自分は何故かすがるのもねだるのも気がひけ素直に出来ない。
自分では無意識に追いやって蓋をしていたけど、実際には常に弟には嫉妬を持っていた様子。
その分、いい子を演じようとしてしまう。そして正しさでなんとか聞き入れてもらおうとする。論理らしきものや理屈を持ち出す。

上手く受け入れられないから、我慢し譲歩しいい子に向かう。
そして理屈や正しさで納得を得ようとしてみても、「お前のは屁理屈だ」ではじき返されてしまう。

何故かといえば、おそらく理屈じゃない生理的好き嫌いで比較されていたのだろうな。
勿論親はそんなつもりは無かっただろうけど。

そいうなれば生理的に受け付け易い方がいし、ますます屈託無くなる。
余計な事悩んだり考え込む事も無くていい。

その辺で、親から上手く聞き入れてもらえず、だんだんねだる等々もしなくなる。
どうせ聞いてもらえない。
だから下手な質問や問いかけもしなくなる。

欲しいもの事やベストは得られる訳も無く、代替で澄ますしかなくなる。
常になんで、何故?を抱え持ちながら。

そして、どうせ何かと理由を付けられ、屁理屈とされ聞き入れてもらえない。

徐々に自己不信。自尊心の低下。他者信頼も落ちる。

でも本当はきちんと聞いて欲しい。話を受容して欲しい。
一杯話したい。

だから聞いてくれる人には過ぎるほどにぺらぺら喋る。
そして遮られる事の無い、ブログなど自分の場では、読みやすさなんて関係なく兎に角書き連ねずに居られない。

寧ろ抑制が効かなくなるくらい。

きっと比べてみると違いがあると思う。



そうやって自己承認が醸成されている人は、ブログ自体やる必然性が乏しい。

そしてブログをやる場合もくどくど語る事もないだろう。

コミュニケーションツールとして適度に活用するのじゃないか。

書くことも割合簡潔なんじゃないか。


一方で、本来一番親しいはずの存在からはぐれてしまった、それでいて多感な者は、本当に欲しい受容や許容は得られずに宛てもなくふらふら。

モノや本、論理や技術、夢想で適わぬ受容や許容をなんとか満たそうとするのかもしれない。


自己承認、自己肯定感が強ければ妄執、パラノイア的な執着、拘りってのも少ないように思える。逆に技術や論理はそこまで強くない。その代わり対人スキルは磨かれ、他者との協調がコミュニケーション能力が強かったりとか。

もしも兄弟姉妹が居る場合、親との似ている似て居ない等々、どうにもし難い生理的名好き嫌いがあって、公平、平等とはいかないごく微妙な扱いの差が出ているのかもしれない。そして、感受性みたいなものの強弱、感度の違いでも大きく違いが出るのかもしれない。


せめて、そんな辺りを原因としないとどうにもやり切れず。
仮にそれで理解出来ても、納得出来るわけじゃないんだけど。


(ひっそり追記、て、長すぎですが)(2008/06/08 21:50 )


うちの父親は非常に口ベタ。自分語りも過去語る事も特に無く、記憶に残るような対話みたいなものや、良く何か言っていたな〜という思い出もこれと言ってなく。一方うちの母親は父も弟もそんな事わからない、知らないとあっちに行ってしまうのに対して聞き分けてしまう私を格好の話し相手として良くあれこれ語っていました。


母親、実家農家だったのだけど戦争で父親が満州だかに行ったっきり帰ってこない。
一方その家族や家業を父親不在を補って強力にひっぱり支えたのが5人家族の長男。
私の母にとっては、母の実家の長男が男や兄、父親像となんらか被っていたのだと思います。


良い所悪い所駄目なところを併せ持つ現実の父親が不在での、本来なら居るはずの一家の大黒柱と言う理想像を結婚後も求め描かずに居られない。
本当は居るであろうに、でも居ないと言うある意味ファザコン状態。
おそらく、ばあさんや家族の中からも”父親が居てくれれば、帰ってきてくれれば”なんてコトバや思いは身近に、或いは秘めた形であったのだと思います。


そんなあたりで頼りになる長男&父親像がぬぐい難いコンプレックスとともにない交ぜなんだろうな。
そういうのを、私が小さい頃から長男である私に重ねて、母親自身も無意識無自覚に押し着せていたのだと思います。
お兄ちゃんなんだから、長男が家継ぐものだ等々。
私の実家は既にただの工場勤めサラリーマンに転向していて継ぐような家業は無いにもかかわらず。
配偶者が居るにも関わらず。


この辺は、私相手に母親があれこれ語っていた事からの想像で、本当のところは明言できませんが。


こっちがたまに欲しいものかろうじてねだってみても、お金ない、そんなもの扱いで一蹴。
体が弱く厄介掛けている負い目もある。


何だか察してもらって周りからフォローなんて入らない。


あまりお金がない、そして病弱なんての負い目ある。なら貯めて自分で買うしかないじゃない・・・と、子供ながらの稚拙な考え。
そうそう貯まるわけも無く。


欲しいけど一生懸命我慢する。
たまには外食行こう等々あっても、そんなのいいから、それならその分をお金でくれと私は言っていました。



すると追い討ちで、お前は何かと言えば直ぐに金、金まったくと切り替えされる。


だって、うちはお金が無いっていつも言ってるじゃない。
お前は体が弱くて大変だったと言っているじゃないか。
だから、手間やお金かからないように我慢しているのに。
と内心の叫び。



病弱で、引っ込み思案で意志もはっきり示さず喧嘩もからっきし。
小学校1年だか2年あたりの時、近所の暴れん坊に弟が絡まれ助けに行ったところ、
返り討ちにあってぼこぼこ、意識も失い・・・なんて体たらく。


体弱いは、過敏だは、喧嘩は弱いはで心配、手間不安。
これじゃ将来やばいと心も体も弱い事を解消しようとやれ柔道、水泳に通わせる。
水泳と言われても、水がなんだか怖くて大嫌い。
柔道なら空手の方がいいと言っても、(内情ウは親の知り合いの子供と通わせる都合で)柔道がいいから兎に角柔道にしろと。


お前は弱いから、お前の為にと、とにかく弱点の補強に走る。
で、母親いわく”私がこれだけあれこれやったり、通わせたからお前は丈夫になったんだ”と。


一方、母親が何だか憧れていた?習字。
自分も一緒になって通わされて。
公民館とかで一斉にやる奴だったんですけどね。


小学校は小学校で、5年生の時だったかな。
向かいの友達の顔を良く見て書こうなんて授業。


まざまざと見たら額やら頬やら皺や、筋肉の流れがあるんですよね。
下手ながらもその辺書いた。


授業の中での先生からの各人の絵の評価でも、絵が上手いという訳じゃないけど、細かいとこまで良く観察できているなんてので励みを貰ったものでした。
その辺で美術的なものにも関心向いてみたりも。


そんな訳で、習字よりも、絵の方がいいと言ってもあれは高いからと言われてしまったら、強くも言えない。
更に絵よりも習字だ!なんての強く言われるし。


じゃその習字で書かれた意味や文は一体何なの?
等々を訪ねると、そんな事はわからない。・・・


むぅ、じゃなんの為の書道。
形や格好だけかよ・・・。
何故その文をしたためたのか、そこに書かれた文の意味はどうでもいいのかよ。


小学校卒業でこっちの習字は終わったけど、実際は自分が母親がやってみたかった書道。
自分は自分で美術系の授業選択してみたり。


母親はそのまま続ける。
で、書きあがると自分ではどれがいいのか判断つかず、私にいつも見ろとせがんで捕まえてはどれがいいと判じさせる始末。
父、弟はそんなのわからないと逃げてしまうけど、こっちは、これこれこの辺がいい。
こっちはいいけど、ここが駄目、等々。
料理の味はどうだ、ってのも同様。


半端に美術なんかに関心持ってしまったから無駄に観察力鍛えられていくというか。


習字だと、ある意味グレースケールの流れ、勢い、配置やバランスなので、絵を判じるような難しさは無かったからこそなんでしょうね。


いっぽうで中学の放課後の倶楽部活動は運動にしろなんて感じで卓球。
体が小さいハンディはなくなるのと、これも運動は嫌いだったけど小学校の頃公民館で極簡単な卓球会みたいのがあってやってみたら案外いい感じ。それでテニスじゃ体格もの言うけど卓球ならその辺もそこまでは差が出にくいなんて感じに思ったのか。



長所を見出したりそれを伸ばす、理解や対話じゃなかったのですよね。
こっちとしては恩を着せられる感覚ばかり募るばかり。


ますます、何かねだったりはできず、我慢に走る。


更に小学校3年だか4年だかで少しだけ良かったらしいIQテスト。


理想と現実とのギャップに嘆くばかりの中の一片の光明だったのでしょうね。


その辺りから妙な期待が向けられていく。


やれ塾だのなんだか子供百科事典やら、子供文学全集やら、百科事典がなんだか自分の部屋に増えていく。
自分が欲しいのはそんなもんじゃないんだけど。


中学過ぎるとどこにでも良くある”もういや、父親と別れたい”でも誰にも内緒にしていて。
当時は判りませんでしたが、今から思うと本気と言うより、よくある愚痴だったのでしょうけど、深刻そうに言われたら年頃の男の子には堪える。


本人に言ってくれれば良いものを・・・。


そうこうしていると母親子宮筋腫などで入院したのですが、見舞いはいいからお前は家で留守番して勉強していて。
別に試験目前とか全然そんな時期でもなく。
弟と父親は見舞いに行く。
いかに妙な期待されていたのか。
しかも別れたいやらでの不安。しかも内緒で友達教師とかに話も相談も出来ず。


高校も親がプッシュするとこには行きたくない、ちょっとレベル高くていやだ。
勉強が好きな訳でもないし、片想いの人が出来たり等々で、親が望む高校はイヤだったのですが・・・。


少しだけなんですがレベル上の高校に進めば、好きなオーディオセット買ってやると。
何かモノで買収され釣られるようで非常に胸が痛んだんですが、やはり子供の頃からねだれず我慢の限界。


かなりの高額となるオーディオ、三重マソまでなら自分の好みで自由に組み合わせていいと!!
なんだよ、金無かったんじゃないのかよ!そんな事はどうでも良く、喉から手が出るというより、完全に喉から手がでてしまい誘惑に負けました。そんな誘惑にまんまと釣られ乗っかってしまった自分に更に自己嫌悪しつつ。


案の定高校の方は完璧にオチこぼれましたが〜。


お前はNG。そのままのお前ではNG。
そして良く似ている、より遺伝子的ルーツととして濃いであろう父親にもNG。
不安、心配、大丈夫かそんな暗黙の、工程や応援よりも立ち止まり戸惑うしかないメッセージばかりを受けまくりでした。


今から思えばやっぱり頼りたいけど頼れなかったファザコンの幻想と過大な期待かけられていたのじゃないか。


言っても聞いてもらえず、対話や理解にはならず、恩着せお仕着せ。
流石に、私には肩の荷が重過ぎて実家出ましたが。
親父が居るのに・・・。


勤め出して飲み会とかでも、周りのノリ一発とか適当な鬱憤晴らしでのちょっとしたお馬鹿騒ぎや気休めについていけない。
適当に発散したり本心曝け出したくてもできず、逆に冷めていき何も喋る事ができずに吐いていた。


その分、自分の興味向くものにのめりこんでいく、というか逃避でもあったんでしょうね。


寧ろ見知らぬ人との方がぺらぺら喋りやすいのは、この辺深入りや深いとこ探られたり話す必要もないからなんだろうな、なんてのが最近見えてきたりです。

自分はOkって感覚や、たかを括ることも未だにできず溜息つきまくり〜。