私に響いたコトバ、そして自分の邂逅は以下。
id:inmymemory さんより、付けさせて頂いたブクマコメントが、過去に書かれた詩の一つと妙に合致するような気がしてしまうとの事。
でも、恐らく反対の側から付けたコメントなんだと思います。
それについて書き出してみたら、案の定手短には出来ず。
inmymemory さんのエントリとそこに付けさせて頂いた自分のブクマコメント。
君に、 - 心揺々として戸惑ひ易く
http://d.hatena.ne.jp/inmymemory/20080124/1201168441
2008年01月25日
場は離れてしまっても、時代、時は同じくしている。目に見える直接的な繋がりは無くても、それでも同じ時空のもとでそれぞれにやっている。どうしているかな。でも同じ空の下に居る事は確か。
自分の 、コトバ - 心揺々として戸惑ひ易く
http://d.hatena.ne.jp/inmymemory/20080125/1201260425
2008年01月25日
ドキリ。得る事適わない君。そんな事あり得ないと閉ざした殻越しのつぶやきににひょんな事で感受許容してもらえた。恐らく二度と得る事のない体験。全放棄全依存したいとこを踏みとどまり、空を眺めながら君の事を1:先日の記事「君に、」にid:julajpさんがブクマしてくれた「場は離れてしまっても、時代、時は同じくしている。目に見える直接的な繋がりは無くても、それでも同じ時空のもとでそれぞれにやっている。どうしているかな。でも同じ空の下に居る事は確か。」があまりにもこれに近いので驚いた。
これら、すこしばかり開示してしまうとこんなところ。
自分自身では、自意識過剰が働きとても恥ずかしくこそばゆい。
ある意味いたたまれなく、痛いくらい。
でも他者が見たらどうって事の無いありきたりな事でしか無いのだろうけど。
当時は絶対こんな事書けるはずなかったけど、まあ大分時も経ったし。
だからと言って、癒えている訳でなく未だにもがいているのだけど・・・。
ああ乾く。もっと潤いを・・・(ぉ?!
”君に、”にはコトバを持ちえても、”自分の 、コトバ ”は持ち得ない私の邂逅は以下。
おそらく自分は、そのやさしい言葉を放って貰った側。
だから、視点が正反対で恋焦がれるけど遠く手の及ばない存在。
自分がどうにかしてあげられるような甲斐性も度量も無く。
自分は破水し、かんしで頭をつままれ未熟児で取り出されながら生まれしばらく保育器だったとか。
体の弱さ過敏さ故大変だった事を言われていて負い目を感じずにいられなかった。
更に年子で生まれた文字どおり病気知らずな元気な弟。
病弱な子と生まれたばかりの赤子。
当然何も出来ない赤子に手が行く。
更に当時流行したと言う、甘えを排除し自立を促すアメリカ式隔離放置子育ての流行。
極力抱いたり、あやしたりしなかったそう。
そんな複合的な要因や自分の気質もあってか無邪気な甘え、欲求、おねだりも出来ず。
かろうじてしてみても、「そんなもの」の一言に潰え更に内に篭もっていく。
そして自分でも判らずに良い子を演じる他無く。
おそらく見捨てられ不安みたいなものにはなから陥ってしまったのかもしれない。
そんな幼少期から得難かった受容、許容、認知、承認。
そんな育ちをしていたので、受け入れてもらい難い感覚と、生き難い感覚。
本当の自分って・・・と、やはり自分探しには惹かれ、また誘われ参加した。
そんなところでふいに出会ってしまった。
或いは向こうの母性本能もしくは姉の意識に、自分では全く知らずに不意に触れてしまっていたのかもしれない。
そのセミナーイベントの中にあった、人に言い難い罪の意識の双方開示。
そこで、つらく悲しそうに君が訴えていたのは飼っていた子猫を死なせてしまった事。
言いたくても言えずに心のうちに秘め苦しんでいた事。
言ってしまう事で少しだけ肩の荷がおろせる。
フィアンセが居る事は知らされていて、それ以降はたまにこちらからかける電話と絵ハガキのみの交流。
特に意識しているのでもなかったのだろうけど、こっちは過剰に受容、許容、認知、承認を感じてしまう。
逆に向こうは看護婦と言う母親、カメラ好きな父親からたっぷり愛情を得ていて、受容、許容、認知、承認があふれ出していたのかも知れない。また、結婚を控えた迷いや不安が手伝っていたのかもしれない。
おそらく光と影。溢れこぼれるものを分け与えたい側と渇望する側。
でもこちらは小さい頃からの抑制で、タガを外して素直になれる訳も無く。
それでも離し難く、離れ難い感触。是非とも自分のものにしたい渇望。
出来るなら、生まれ赤子がその母親の胸に抱かれあやされるように溺れてしまいたい感覚。
全放棄全依存したい・・・それを踏みとどまり。
それでいて喪失欠乏感ゆえ奪い取り貪る事しか出来ず、分け与えられるような余裕はまるでない。
得られる訳は無く到底対等になどなりえない。
時にこんないたずらもあるものかと・・・、
そんな出会いを振り返りながら。
忘れる事なんて出来ずに。
思い返せば切なさばかりがこみ上げてしまう。
当時、なんとか踏ん切りをつけたのがこれ。
だけどこの空は、君が暮らす地の空と必ずどこかで繋がっている。
同じ時に、時代に生まれたからこその出会い。
ほんのしばしの時を共にしてくれてありがとう。
空が繋がり、時が繋がったどこかで(って引っ越していなければ栃木の牧草地帯のはずだけど)暮らしているのだからと言い聞かした。
そんな、自分の自意識過剰にまみれたメランコリックな思いを基点に起こしたのが以下の関連エントリー。
自分の体験、経験した事しか判らない、それ故完全な合致はあり得ないのだけど、どこかで近似や相似するところがあるなら。またそれに何かを感じ取ってくれる人が居るならと、時々書いてみて居るものです。
でも、こういのばかりだとある意味正気を保っていられなくなるので、ガンダムネタやら車ネタやらあれこれで気を紛らわせているのが本当のとこだったりしています。
翼を持った小鳥と罠に傷つき怯え吠える子犬
http://d.hatena.ne.jp/julajp/20080125/1201232052
投影とシンパシーと合鍵と
http://d.hatena.ne.jp/julajp/20071114/1195065152
暗がりから射した光と包まれた闇と
http://d.hatena.ne.jp/julajp/20071108/1194470140
様々な気持ちの表現手段
http://d.hatena.ne.jp/julajp/20071023/1193087331
誰かにちっぽけな☆を
http://d.hatena.ne.jp/julajp/20071012
2008/02/02 追加
宇多田ヒカルの HEART STATION
車の中でラジオ越しに聞こえてきたこの曲。
何か妙に響き過ぎるな、なんて思っていたところHIRON さんのブログでこんな記事を発見。
あ、そういう事、そういう気持ちの現れなのかと更に共感を覚えてしまったり。