『日本語が亡びるとき』に関して安直に

コミュニケーション手段としての日本語はどうしても国に縛られてローカルになってしまうだろう。
そして近代文学現代文学近代文学も読んじゃいないからきちんとした事は言えた道理ではないのだけれど・・・。
江戸期から欧米が門戸を開きガラガラと常識が覆っていく。
過去の常識に従う形ではいられず、欧米の常識をなんとか咀嚼していかなければならない世の中。不安定でもあり新規性にも充ちた世の中。
日本の常識らしきものを突き通すと言うわけにもいかず歴史的断絶を敢えて選択していかなければ先に進み難い世相での不安や苦悩、迷いなど、それらが元と成り綿密に描き出されたものが近代文学だったのでは無いか?
そこに新規性、希望、未来などはどれだけ込められていたのか?

寧ろ将来展望に関しては近代文学での提示がなされなかったからこそカウンターとしてマンガがその役目を果たしていたのではないか。

確かに感情、情動の機微などに関しては文学が強力に牽引していたかもしれない。
ただ、当時はメディアや才能は文学にこそ集中していたのでは無いか?

そして現代では、人々の様々な機微や世相を織り込んだストーリーってどこに多くあるのか?

もしかして文学よりも既に漫画あたりにシフトしているのではないだろうか。

日本文学は輸出しても相手にされなくても、漫画の輸出は今まさに世界を席捲しつつあると言う。

漫画は既に近代文学にあった機微や描写も内包し、凌駕していたりしないだろうか?

そして漫画が世界を取り囲んだとしたら?
文学に変わる表現の共通プロトコルにまで到ってしまったりしないだろうか。